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雑記です。ゲームネタ多めの予感。


by shiro07281

【浅い深読み】機関車トーマス

「今週のサザエさん」がかなり面白いので、「サザエもすなるという、あれ」ということで、まあ、平たく言えばオマージユである(便利な言葉だなあ)。
長文ではあるが、携帯性を重視し、京極夏彦の文庫本よりもかなりコンパクトに仕上がっている点をご評価いただきたい、というのが正直なところだ。

お題は今朝観た「機関車トーマス」にしようと今朝思った。
来週もトーマスである保証はどこにもなく、この企画が複数回続くのかも予断を許さない状況だが、連帯保証人になってくださるというかたがいれば、当方としてはそちらにお任せしたい。
ところで、大正野球娘の第一話タイトルにもある「すなるという」という表現だが、これは「すなる」だけで「するという」の意味なので、そのあとの「という」は重複表現ではないだろうか。それとも又聞きなのか。
いずれにせよ、このように誤解を招きうる表現を安易に使うとは、近年の日本人の言語レベルの低下に忸怩たる思いを禁じえない。
あるいは、忸怩たるのは私の言語レベルのほうかもしれないが、そんな細かいことを気にしていては立派なポケモンマスターにはなれない。
ところで忸怩って何?
気になって気になって、忸怩ノイローゼになってしまいそうなので忸怩たる思いだ。

いきなり話が脱線した(機関車だけに)。
※ここで笑っておくことを強く推奨する。この先は重い話が続くからだ。
私も筆が重い。


今日の機関車トーマスは、朝の出勤準備をしながらぼんやり見ていたので、あまりディテールには触れられないことを最初にお断りしておく。
「神は細部に宿る」とも言うが、残念ながら私は人間なので、細部のほうは神様に任せておけばよいのではないか。

大雑把に言うと、黄色い機関車(別の色だったかもしれない)がトーマスの助言に反発して走り続けるが、最後にはトーマスに助けられて改心し、仲直りをする、というようなものだった。
どうしよう、一行で言い尽くせてしまった。

これで終わりにしても良いのだが、神様に敬意を表して、もう少し細部を見ていこう。
何しろ相手は、大英帝国が技術の粋を集めて開発した、人間と意思疎通が可能な人面機関車である。一筋縄ではいかないのだ。

※純粋にストーリーのみを楽しみたい場合は、青い太字のところだけ拾い読みすると良い親切設計になっている。
余談だが、自分で見直しておいて、よくこんな僅かなシナリオに対してこれだけの贅肉がつけられたものだと驚嘆した。日本相撲協会からスカウトが来るかもしれないが、ちゃんこが作れないので辞退するつもりだ。

最初の状況は忘れたが、とにかくトーマスが黄色に対して親切心から助言をする。
しかし、黄色はそれに対して「命令するな!きみはいばりんぼだな!」と聞く耳を持たず、走り去ってしまう。

このやり取りは、一般的な親子関係を象徴しているものと推察される。
つまり、この時点で、大多数の視聴者が眩暈とともにかつてないほどの強い既視感に襲われるよう仕組まれているのだ。
さすがは大英帝国である。冒頭から既に情報戦が始まっているのだ。

黄色が運ぶべき貨物を積まずに走っているので、トーマスは黄色のあとを追ってそれを知らせるが、やはり黄色は「命令するな!きみは本当にいばりんぼだな!」と耳を貸さず、走り去っていく。
同じようなシチュエーションが続けて出てきたが、ここで作者が更なる攻勢を仕掛けてきていることに注目せねばならない。
それは、これが親子関係だけではなく、職場での人間関係をも暗示している、ということだ。指示を聞かずに反発するばかりで仕事ができていない部下、という構図は、巷間に溢れかえっている。
それがここで描写されていることにより、日本経済の基礎たる若い労働者階級が実際には無能力化しつつあることが、既に世界に露呈していることが明らかになったのである。
これは憂慮すべき事態であるが、この問題に関する議論や考察の詳細は神様に譲ることとする。

さらにあとを追うトーマスだが、それでも黄色は「命令するな!きみは本当に本当にいばりんぼだな!」である。
エスカレートしていく黄色の口調に、物語のクライマックスが近いことを感じ取れ!

しかし、この疾走感の裏には、やはり隠された意図があることを冷静に看破しなくては、我々日本人は遠からず滅びへの道に足を踏み出すこととなろう。
何たることか、このシチュエーションは、家庭や経済のみならず、教育の現場にも当てはまってしまうのである。
つまり、この三回目の黄色発言により、教師と生徒の関係の問題点さえも示唆されている、ということだ。
日本の現在の教育現場における、教師と生徒の信頼関係崩壊と、それに伴う知的レベルの低下、モラル教育の終焉など、将来の日本を担う人材の育成が既に破綻していることが、暗に、しかし鋭く指摘されているのである。
そして、それらをきちんと把握している、ということを示すことで、作者は日本政府そのものに対しても圧力をかけているのだ、と見ることが可能であろう。

話を先に進めよう。
これら3つのシチュエーションの先に待っているものこそが、現代及び近未来日本の危うさを浮き彫りにしているのである。


・・のであるが、ちょうどこの時間に私の出勤準備が佳境に入るため、正直なところあまり覚えていない。


黄色が何かやらかして、パーシーが全身に黒い何かを被って汚れてしまう、という感じだった。
汚れたパーシーの怒り顔は、子供が見ていればトラウマ確定ものの形相であったことを書き添えておく。
凡そトーマスに出てくる機関車の顔が怖いとはよく言われることだが、これもまた、幼児時代から恐怖を繰り返し刷り込むことで、将来的には英国に絶対服従の犬に育て上げよう、という「悪魔のブリーダー根性」とでも言うべき作者の狂気が滲み出ているものだと言えよう。
それに気づかず毎週放映しているテレビ東京には、今からでも遅くないのでしかるべき措置を早急に取っていただくことを望んでやまない。
具体的には、トーマスの代わりに「けいおん!」の再放送でもしてはどうか。
尺が違うとか、局が違うとか、そういう細かいことを気にしていては(以下略)。

なお、パーシーが被った「黒い何か」や、それが指し示す未来についても、この先数キロバイト分は考察したいところであるが、詳細は神様に譲る約束になっているし、だいたいそろそろ飽きてきたところなので、ここは潔くカットして先へ進むことにする。
読者諸兄の喜ぶ顔が目に浮かぶのはどうしたことだろう。

最終的には、トーマスが黄色の仕事を肩代わりし、「これでいいだろ?」みたいなことを言うのであった(んだったと思う)
親子関係においては「結局子供の言いなり」、会社関係においては「結局上司が全部やる羽目に」、教育現場では「結局教師がレベルを下げて付き合う」という日本社会に潜む病理を、作者はこのタイミングで一気に突きつけてきている。
しかし、ここで義憤に駆られ、何とかしなくては、と思っても、今日は選挙の投票日ではない(平日だから)というジレンマが、身を焼き焦がすほどの焦燥感となって全国民に襲い掛かるのである。全く、狡猾としか言いようのない手口だ。


それに対して黄色が最後に放った一言が、ダメ押しとも言うべき一撃だった。

「トーマス、僕は君のことを誤解していたよ。君は実に役に立つ機関車だね」

これだ。仕事を代わりにやってもらっておいて、「お前は役に立つ奴だから許してやろう」と言うがごとき傲慢極まりない論理、不遜な態度。
これが日本をこれから担っていく世代の真の姿だ、と糾弾しているのである。
わずか数分程度の中に、「察しと思いやり」の日本文化と「使える・使えない」という経済的二元論との対立関係や、現代における後者の圧倒的優位性を、これほど鮮やかに描き出した作品がかつてあっただろうか。
この、現代日本に対する痛烈な皮肉と、それを嘲笑するかのような甲高い汽笛の音をもって、今週の機関車トーマスは幕を降ろしたのだった。


[今週のまとめ]
・仏の顔も三度まで。
・「いばりんぼ」って久しぶりに聞いたね。
・ストーリー自体は一文で収まるのだった。



ところで、冒頭の一文の「オマージユ」の「ユ」が大文字になっていることに気づいたかたはどれくらいいるだろうか。




※この「オマージユ」の問題は、誤記を修正するのに消費されるエネルギーを節約するために急遽ネタにしたもので、要するにエコだ。
こういうところでもつい地球を大事にしたいという気持ちが出てしまうのは、我ながら困ったものである。
by shiro07281 | 2009-07-15 23:06 | トーマス